【コロナ禍】インスタでコロナ鬱が加速した話

 

 

「コロナ鬱」という単語がツイッターのトレンドに入ったり、ニュースに取り上げられるようになった。

そして多くの人がコロナ鬱を経験したのではないだろうか。

もちろん私もその一人だ。

 

正直言うと、私はもともとネガティブで気分が落ち込みやすいため、鬱とはご近所さんみたいな感覚だ。

だから、ネガティブの延長だと言われれば今回もそうだったのかもしれない。

 

 

近年SNSが普及して、誰かとやり取りをしたり何かを発信するときにはスマートフォンが欠かせなくなった。

特に大学一年生の私と同じ世代の人たちは、「インスタ映え」を求めて出かけることも少なくないだろう。

もちろん私だって、おいしそうなスイーツや友達との写真、所謂エモいと言われるような写真を撮ってはインスタグラムに投稿している。

 

そしてなんといっても最近のインスタグラムは「ストーリー」機能がある。24時間で消えるなんとも便利で手軽に投稿できる機能。

正直ストーリー機能が現れたときには、なんだこれ使わんだろと思ったが一週間後には普通に使ってた。

 

 

と、まあ前置きはこのくらいにしておいて本題に入りたいと思う。

 

その前に、このブログより前の投稿を読んでくださった方はわかると思うが、今回は少しテイストが違う。

なぜか。とても冷静で過去の自分を振り返って分析できる余裕がたっぷりあるからだ。

どちらにしてもコロナ関係のことしか書いていないが…。

 

 

私がコロナ鬱になったこれといった原因はないだろう。

すこしずつ何かが溜まっていって、溢れてしまったようなものだと思う。

 

気分が沈んでいると、本当に何もできない。勉強も動くこともご飯を食べることも本当に何もできなくなる。唯一できることがベッドに寝転がってスマホをぼーっと眺めることぐらいだった。本当にこれは良くなかった。

 

 

ツイッターを開くと、推し関連のツイートや友達のどうでもいいツイートばかりが並んでいたし、特に気にならなかった。

 

しかし問題はインスタグラムだ。

アプリを開けばまず最初に飛び込んでくる友達の笑顔の写真。少し上に目を向ければたくさん更新されているストーリー。ストーリーを見ていくと、それはそれは楽しそうな笑い声とともによくわからない動画が流れる。

 

 

シンプルに病んだ。

 

 

文章(ツイッター)での楽しかった報告は特になにも思わないのだ。

しかしいざ写真や動画(インスタグラム)がついてくると、劣等感を感じる。

 

 

私は狭すぎるコミュニティで孤独に過ごしているのに、なぜみんなはそんなに笑顔なのか考えだしたらもう気分は落ち込むばかりだった。

 

 

 

あの時の私に強く言いたい。

SNS(特にインスタグラム)には自分の綺麗な部分しか載せないんだ、と。

 

わざわざ苦労している姿や自分の汚い姿を載せたがる人は多くはないだろう。

苦労自慢をする人は結構いるが…。

 

だが私の周りの人たち(少なくとも女の子)は、

友達と遊んだ写真を上げ、

#OOTDを付けて自慢のコーディネートを載せ、

高そうなブランド物の財布を白い布の上にのせて写真を撮り、

たまに何気なく撮ったようなエモい写真を上げる。

 

このような投稿を責めるわけではない。

私だってつい最近買った高い香水を白い布の上に置いて写真を撮ったばかりだからだ。

 

 

私が言いたいのは、このような写真の裏にはその人の苦労や努力、はたまたちょっとだらしない姿も隠されているかもしれないということを言いたいのだ。

 

何だそんなことかよ、と思われるかもしれない。

しかし、いざ病んだときにはもう目の前にある情報をそのまま受け取ることしかできなくなるのだ。

辛い時こそ一度その裏を想像してみるべきだと思う。

 

 

仲良さそうな友達との写真は、もしかしたら気まずいかもしれないし、

自慢のコーディネートは何日も前から考えて、インスタに載せるためにめちゃくちゃシャッターを切ったかもしれない。

ブランド物の財布を買ったために毎日納豆生活かもしれないし、写真を撮っている姿はブランド物とは似つかわしくない学校のジャージかもしれない。

何気なく撮ったエモい写真は実はめちゃくちゃ計算され尽くしたものかもしれない。

 

 

もちろんすべて憶測だが、気分を落ち込ませすぎないためにもある程度変な憶測をしておくべきだと思う。

そしてやはり、SNSとはある程度距離を置くことも必要なのだと思う。

 

 

目の前の手のひらサイズの端末から得られる情報は一度俯瞰してみることが大切だ。特に、身近な存在のSNSの投稿はそのことを忘れがちになるため、改めてSNSとの付き合い方を冷静に考えていこうと思う。

 

 

 

【コロナ禍】自粛できるからしてみる。

 

 

 

緊急事態宣言が出ましたーー!自粛してくださーい!

 

はーーーい!!

 

 

 

そう元気に返事できた人は果たしているのだろうか。

 

 

 

特に、年明けに発令された緊急事態宣言は、一回目の緊急事態宣言より効果が薄い気がする。というか薄いのだろう。

 

 

 

大学一年生、後期授業も終了しやることもなにもない。

そんな中に出された緊急事態宣言。

そうだ、自粛してみよう。

 

 

 

そんな風にとらえることができたらどんなに楽だっただろうか。

実際には、自粛することしかできないのだ。自粛できるからしているだけ。

すぐに遊びに誘える友達もいないし、必然的に自粛してしまうだけ。

別に緊急事態宣言が出ているから自粛しているわけではない。一年間オンライン授業でまともに友達ができなかったし、慣れない土地で遊べる場所もよく知らないし、遊びに出掛けないだけ。

 

 

 

私の周りには自粛してない人がいる。

ニュースを見ても、街を見渡しても、明らかに遊んでいる人がいる。

 

その人たちは、きっと何らかの理由があって自粛できない人たちなんだろう。

 

 

 

その人にもその人の人生がある。

今の時期にしか過ごせない時間なのだろうし、

断れない性格で仕方なくご飯に行っているだけかもしれない。

感染対策をしっかりした上で遊んでいるのかもしれないし、

人付き合いは大切だし…

ある程度経済は回さないといけないし…

 

 

 

きっとそういう人たちばかりなんだろう。

というかもう、そう思わないと私の心が持たない。

 

 

 

 

私は自粛できるからしているだけ。

何らかの理由で自粛できない人がいる。

ただそれだけだ。

 

 

 

 

だから自粛できる私が自粛するんだ。

 

 

 

 

自分の楽しみしか考えずに自粛しない人などいないと信じながら。

 

 

 

 

 

(余談)

自粛していない人を見れば普通にむかつくし、真面目に自粛している自分が馬鹿らしくすら思えてくる。

でもこういうふうに考えないと、また病んでしまう。

就活のときとかにアピールポイントにでもしようかな???

「私は周りが遊んでいるときに頑張って自粛しました」とかね。

真面目に自粛している人たちに何かベネフィットはいただけませんか???

自分の身を守るために自粛していても、周りが自粛していないのであれば私の行動は意味をなさなくなる気がしてならないのですが。

 

 

どちらにせよ、私は自粛できるから今後も自粛してみることにする。

 

 

 

 

【コロナ禍】時間だけが過ぎる

 

 

早いもので2021年が始まって一か月以上が経つ。

時の流れは怖い。

時間とともに違和感を抱いていたものにも慣れてしまう。

 

 

マスクをすることはもう当たり前になった。

マスクを着けていない人を見れば自然と避けるようになった。

 

 

ただ時間だけが過ぎて、今の現状を受け入れることしかできなくなった。

 

 

 

 

一つ目のブログを書いてから三か月近く経った。

 

正直その時は本当に鬱状態だった。

でも一週間ほどでバイトにも普通に行けるようになった。

良いことがあったからとか、響く言葉をもらったからとかそんな回復方法ではなかった。

 

自問自答し続けて、結局答えが出ないまま今の現状を仕方がないと受け入れることでなんとか元の生活へと戻った。

 

心にぽっかり穴が開いたまま、でもその穴に気付かないようにしながら。

 

 

 

 

気付かないようにすることは案外得意だった。

 

丁度アルバイトも繁忙期に入り、仲の良いバイト先の仲間もできた。

授業も慣れて少し適当に課題をこなした。

姉と出掛けて、年末には中学時代の友人とも会えた。

BTSの沼にもどっぷり浸かった。

 

久々に会った友人は彼氏ができてたし、姉はクリスマスイブに彼氏からプロポーズもされた。

 

 

彼氏もすぐに遊びに誘える友達もいなかったけど、うわぁ、私今楽しいわ、なんて思える日があった。

 

 

 

 

 

 

年明け、緊急事態宣言がまた出された。

 

 

 

東京都の新規感染者数がほぼ毎日のように最多を更新していた。

でも、そんな数字にも慣れてしまった自分がいた。

それは周りも同じだった。

土日のアルバイト先は人で溢れる日もあったし、姉はよく友人と遊びに行ってたし、地元の友達もよく遊んでいるストーリーを上げてた。

 

 

 

緊急事態宣言が発令されて、アルバイト先が時短営業になった。

かなりの人数で組まれていたシフトも部署ごとに一人になった。

仲のいいバイト仲間とはもう一か月近く会えてない。

 

後期の授業もあっけなく終わり、やることがなくなった。

 

無駄な春休みは過ごしたくないという一心で資格の勉強を始めたが、漠然とした不安で「これを取ってどうしたいんだろう」と思ってしまい、身が入らない。

 

 

 

 

あぁ、時間だけが過ぎる。

 

 

 

 

毎日YouTubeを見て、少し勉強して、

たまにアルバイトに行って、、

一日に言葉を発する回数が数える程度な日も少なくない。

 

 

 

 

緊急事態宣言がまた一か月延長されて、アルバイトのシフトも削られたままになった。

収入が減ることを母に告げたら、

「お金がないことより、暇な時間をどうしようか、だね」

そんなことを言われた。

 

 

 

もうどうしようもないだろう。

 

 

 

これは投げやりに言っているのではなく、簡単に言えば諦めだ。

 

 

 

我慢すればいいんでしょう?外に出なければいいんでしょう?

でもこの先素敵な未来があることは保証されない?でもそれも我慢すればいいんでしょう?

 

 

 

もう訴えることも面倒くさい。

 

 

 

私は多くを望んでいないはずだ。

 

身長が高くてかっこいい彼氏が欲しいのではなく、友達が欲しい。

当日に今日休みでいい?なんて言われない、普通のバイト先で働きたい。

たまに夜、焼き肉を食べに行きたい。

 

 

 

 

 

私より遅く上京した友人に彼氏ができてた。

他の上京した友人は地元に戻って友達と毎晩楽しそうなストーリーを上げている。

姉は彼氏とご飯に行ったり、週末よく友人と遊びに行っている。姉の予定表はほとんど埋まっている。

 

 

 

 

 

 

もう出歩かないでなんて言うことも疲れた。

もっと危機感持ってよ、なんて姉に言うことももうないだろう。

疲れちゃったなぁ。

 

 

 

 

 

周りは誰かと時間を共有して過ごしているのに、

私はただ時間が過ぎるだけ。

ただ何もない時間が。誰かと共有することなく。

 

 

 

 

でももういいんだ。

仕方がないんだ。

【コロナ禍】そして私は何者でもなくなった

 

 

2019年10月、私は有難いことに推薦入試で大学への進学が決まった。

 

私はとにかく地元から早く出たくて仕方がなかった。

そんな私は、行きたい大学を絞る際に上京することを早々と決めた。

これは先に上京しその先で就職した姉の影響が大きいだろう。

姉は大学進学で所謂大学生デビュー、華のキャンパスライフというものを経験している。そんな姉を見ていた私は、姉が垢抜けて綺麗になり、素敵な友人たちに恵まれている姿を見て憧れないわけがなかった。

 

私も絶対に楽しいキャンパスライフを送る。そう思っていた。

 

2020年1月、中国で新型コロナウイルスによる感染症が発生しているというニュースがあった。

 

正直この頃は世界中に蔓延するなど考えてもみなかった。バイト先の心配性の女の子が「怖いからマスク買い占めた!!」と報告してきたときは、大袈裟だななんて少し馬鹿にしていた。

 

2020年2月、卒業前の自宅学習期間でのんびりとした時間を過ごしていたが、テレビニュースでは毎日毎日コロナウイルスの話題ばかり。日本でも感染者が出始め、マスクを着けて外に出ることが当たり前になっていた。しかし、インフルエンザと同じようなもので冬が終わって暖かくなればすぐ収まるだろうと思っていた。

 

2020年3月1日、コロナウイルス対策のため、卒業生とその保護者のみでの卒業式で高校を卒業した。

 

 

 

2020年3月下旬、地元を離れたい願望が強かった私は4月上旬に予定されていたガイダンス等のことも考え上京することに決めた。

この上京を踏み切った理由には、単身赴任中の父、先に上京している姉と3人暮らし(母は地元に残り一人暮らしをしている)になるため精神的負担も少ないことも含まれていた。

 

2020年4月、大学の入学式はなくなり、なにもないまま大学生になった。

母に買ってもらったスーツは未だに一度も袖を通していない。

 

その後、ガイダンスや健康診断は中止になり、オンラインでのガイダンスが決定した。さらにそこに加え、前期は原則オンライン授業で進めること、つまり、大学には通わないことが決まった。

 

5月、オンライン授業が始まった。

楽だと思った。授業ギリギリまで寝ていられるし、ほとんどがオンデマンド形式の授業だったから、楽だと思った。

 

同時期にとても親しい友人が関東で一人暮らしを始めた。この他にもツイッターやインスタグラムで知り合った同じ大学の人も一人暮らしを始めている人が多くいた。

友人が一人暮らしを始めセンチメンタルになっている様子がツイートで伺えた。この時私は、「一人暮らしじゃなくてよかった」と思ってしまった。

これは、一人暮らしをしている友人を横目に、父と姉と暮らしている自分を棚に上げて優越感に浸っていたことになる。堂々とこのような発言や行動をしたわけではないが、心のどこかでそう思い、無意識のうちにそのような言動をとっていたかもしれない。

 

5月下旬、アルバイトを始めた。

コロナウイルスは怖かったが、貯金を切り崩しての生活が少し厳しくなってきたためアルバイトを始め、オンライン授業とアルバイトの繰り返しの日々が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学一年生、前期授業はすべてオンライン。頼りにできる大学の先輩もいない。

慌ただしく、とても気を張って、余裕のない日々を過ごした。

だから、気付かなかったのかもしれない。どのタイミングでどのようなアクションを起こさなければならなかったのか、今でもわからない。

 

夏休み最終日、健康診断の日に初めて大学に足を踏み入れた。

 

周りは同じ大学一年生のはずなのに、最寄り駅に着いた時点で多くの人が誰かと一緒に歩き、楽しそうに話をしていた。みんな友達といた。

 

私はひとりだった。

 

すごく切なかった。

 

ツイッターで積極的に声をかけて仲良くなればよかったのだろうか。

仲良くなってご飯に誘えばよかったのだろうか。

みんないつどこで仲良くなったのだろうか。

 

 

 

夏休みが終わり、関東で一人暮らしをしていた友人がアルバイトを始めたようだった。同じ大学の先輩も、同級生もいて楽しいアルバイト先のようだった。

その様子は嫌でもツイッターやインスタグラムの投稿で目に入ってきた。

毎日のようにご飯に連れて行ってもらう姿、アルバイト先の人とBBQをする姿、羽目を外している姿。大学生らしいなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後期が始まって2か月が経つ。

後期授業も原則オンライン授業である。つまり一年間オンライン授業になった。

地元の大学に進んだ友人は対面授業をめんどくさいと言いながら楽しそうに受けている。

アルバイトは2つ掛け持ちしている。どちらもほどよく頑張っている。

姉とよく話をし、たまに一緒に出掛ける。

ほぼ毎日三食食べて、割と健康的な生活をしている。

たまに母とテレビ電話をしてる。

好きなアイドルグループの動画を見て姉と一緒に騒いだりしてる。

ただ普通に生活している。

 

 

 

 

でも私には遊びに誘える友達が一人もいない。

 

 

 

 

地元に帰りたいと思う。前みたいに母と一緒に暮らしたいと思う。

でも私は地元に帰って何をするのだろうか。

授業はすべてオンライン授業。

毎日通っていた高校にはもういけない。高校の友達はもう前のように遊べない。

前のアルバイト先にはもう知っている人がほとんどいない。

 

 

 

私の居場所はどこだろうか。

 

 

 

地元に戻ってもこの気持ちはきっと晴れないのだと思う。

どこにいてもなにをしても、居場所がなく、自分が何者なのかわからなくなる。

 

私は何をしているのだろうか。

 

毎日ちゃんと生きているのに、生きている気がしない。

 

 

 

コロナウイルスが憎くてしょうがないという話ではない。

 

 

 

私が今、どこに所属していて、何者なのか、誰か教えてほしい。

 

 

 

なぜ私は1人じゃないのに独りなのだろうか。

 

 

 

なぜ周りの友達は同世代の子と楽しく笑いあえているのだろうか。

 

 

 

大学一年生という肩書がこんなにも似合わないのはなぜだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

私は何者なのだろうか。